出演者インタビュー

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2019に出演の3人のピアニストに、音楽ライターの高坂はる香さんにインタビューいただきました。
それぞれの音楽性、人間性が垣間見える素敵なインタビューで、アーティストの演奏とラ・フォル・ジュルネへの理解が深まること間違いなし!

※インタビューは2019年ナントでのラ・フォル・ジュルネにて収録されたものです。

アブデル・ラーマン・エル=バシャさん インタビュー

ナントのLFJでは、エル=バシャさんの自作曲とショパン「前奏曲集」を合わせたプログラムを演奏されました。これはやはり「ボヤージュ」というテーマから来た選曲でしょうか?

はい。私は11歳で祖国レバノンを離れ、音楽を学ぶためパリに来ました。私にとってクラシック音楽を発見するということは、ヨーロッパを発見するということと同じでした。私の曲は、主に1970年〜80年代に書き溜めたものですが、これは祖国と全く異なる文化に触れながら得たインスピレーションにもとづいて書いた、旅の日記のようなものです。
私はプロの作曲家ではありませんから、頼まれて書くことはできないかわりに、今ある作品はすべて自然と心の中から出てきた音楽ばかりです。そのため数は多くありません。でも、周りの方々から録音と楽譜の出版を勧められて、2年前にそれが実現しました。
以前日本でのコンサートのあと、ピアニストの方が私の作品でリサイタルをすると言ってくれて、とても嬉しく誇りに思いました。同時に責任も感じましたが…作品が楽譜となって自分の手を離れたら、そのあとのことは何もコントロールできないのだと実感したので。

では、その意味でより作曲家の気持ちがわかるようになったと。

そうですね(笑)。例えばベートーヴェンも、現代のピアニストによる解釈を聴いて、ハッピーだと感じたりそうでなかったりするのだろうと思いを巡らせてしまいました。

LFJ東京のリサイタルでは、ショパンの作品を演奏されます。

はい、マズルカ、ポロネーズ、バラード2番、プレリュードと、ショパンが主にマヨルカ島に滞在していた時に書いた作品によるプログラムです。

ナントで「24のプレリュード」を聴きましたが、ショパンをとりまくマヨルカ島の自然が感じられるような演奏でした。

マヨルカ島の自然は、いつもショパンを幸せにしてくれるものばかりではありませんでした。地中海の明るい太陽を感じるときもあれば、雨が続く中、孤独を感じたこともあった。ジョルジュ・サンドとの恋愛関係も始まったばかりでした。そんな孤独と悲しみ、情熱が入り乱れた作品です。

以前エル=バシャさんは、祖国を離れて暮らす者同士、ショパンに共感するとおっしゃっていました。どんな作品からそれを感じますか?

やはりマズルカです。音量の意味で力強い作品ではありませんが、最も強い感情があり、親密で、特に1840年以降に書いた作品からは、胸が張り裂けるような気持ちを感じます。この頃のショパンは故郷を想い、体調不良に苦しんでいました。彼の傷ついた心がさらけ出されているという意味で、他のどの作品より力強い作品です。

子供の頃、エル=バシャさんの音楽性に最も影響を与えたものはなんですか?

アラブの歌手たちだと思います。私の母も歌手でしたから。こうした歌から得た感性は、私のショパンの演奏にも影響を与えていると思いますし、ショパンへの共感もそこからきていると思います。子供の頃の私にとって、歌は本当に大切なものでした。そして13歳の頃、ショパンのホ短調のピアノ協奏曲に出会いました。このとき、西洋の音楽に心から恋に落ちたのです。西洋、東洋の違いにかかわらず、美しいものは美しいと感じました。この感覚は今も続いていて、西洋のものだろうが東洋のものだろうが、好きなものは好きですし、嫌いなものは嫌いです。
私にとって音楽とは、生きるということの秘密を啓示してくれるものです。そこに、ヨーロッパだとかアラブだとかいう概念は、関係ありません。

アラブの音楽にも、西洋音楽とはまた違った魅力がありますよね。インドの音楽とか…。

私はインドの古典音楽も大好きですよ! インド音楽、アラブ音楽と、今も愛聴しています。

そうですか! 西洋クラシックファンのみなさんにおすすめしたい音楽はありますか?

インド古典音楽では、カウシキ・チャクラバルティの歌声がまずとてもいいです。アラブの音楽では、伝説的な歌い手であるファイルーズをおすすめしたい。とてもデリケートな歌声の持ち主で、ショパンが彼女の声を聞いたら、すごく喜ぶと思います。
おすすめのミュージシャンは他にもたくさんいますが、まずはここから。新しいジャンルの音楽に出会うときは、ファーストコンタクトが大切ですからね!

エル=バシャさんの演奏からは、どんな会場でも特別な音にしてしまうピアノのすばらしいコントロール能力を感じます。秘密はあるのでしょうか?

それはとても重要な質問ですよ! 自画自賛するつもりはありませんが、私はそのことについて長らく努力を重ねてきました。
例えばピアニシモを鳴らすとき、人はその音が遠くの人に届かないかもしれないと心配するものですが、それは自分がどんなピアニシモを鳴らすかによります。フォルティシモですら、遠くまで届かない弾き方もある。そこで大切なのは、音と音の間をどう弾き、そこにいかに命を吹き込むかです。大切なのは、リラックスと集中の両立、加えて確信を持って弾くということ。これが、遠くまで届くピアニシモを鳴らす秘訣です。
そしてもう一つ。私は絶対に左のペダルを使いません。

確かに、演奏中ずっと左足が後ろに下がってるなと思って見ていました!

ええ、これは自然なピアニシモを弾く上で不可欠な要素です。左ペダルを使ってピアニシモを弾くことは、例えば、役者がドルチェな声を出したい時、口を塞いでセリフを言っているのと同じことです。自然ではありません。ちゃんとささやき声を発する能力を使わないといけません。
もう一つ別の例えをしましょう。あなたは愛しく大切なものに優しく触れたいとき、手袋をしますか? 左ペダルを使うということは、私に言わせれば、手袋をして愛しいものに触れるのと同じことです。
左ペダルを踏みながらメゾフォルテで弾けばピアノになると思ったら、それは大間違いです。遠くで泣いている赤ん坊の声と同じで、音量は小さいかもしれませんが、泣き叫ぶ声であることに変わりはありません。ドルチェのピアニシモを出したいならば、自分の指でその音を表現しなくてはいけません。

最後に、東京のLFJには何度も参加されていると思いますが、印象をお聞かせください。

私は、日本人の生き方から醸し出されるものが好きです。世界で一番文化度が高い国だと思います。例えばショパンの音楽は、美しく控えめに着飾りお化粧をしているのに、人とあまり付き合おうとしない女性のようだと言われることがあります。日本はそれと似ていると思います。控えめな美しさの中に、情熱がひそやかに眠っている。美しく飾られた姿とひそやかな情熱は対立するものではなく、一つのものの中に共存できるものだと私は思っていますよ。

文:高坂はる香

ジャン=クロード・ペヌティエさん インタビュー

ピアニストにとって自分の音を持つということは大切だと思いますが、ぺヌティエさんはどのようにしてあの特別な音を確立されたのでしょうか?

私は10歳の頃から、あなたには音があると言われてきました。自分がそれをどうやって獲得したのかはわかりません。いずれにしても、インスピレーションが外から来るのを待っていては何も起きません。大切なのは、欲求に基づいて表現するということ。芸術分野全般において共通していると思います。自分の意図や内にあるものに耳を傾ければ、それは実現すると思います。そのうえで、素材、作品によって音のバランスやペダルで調整をしていきます。

ナントのリサイタルでモーツァルトを聴きましたが、次々と音の表情が変わって、いろいろな人物が出てくるようでした。モーツァルトの音を鳴らす上で大事にしていることはなんでしょうか。

モーツァルトの時代、ピアノはまだ若い楽器でした。モーツァルトは、ピアノを弾くにあたって二つのインスピレーションの源を持っていたと思います。一つは、ピアノを弾くこと自体から見出す楽しみや喜び。もう一つは声の表現から得る刺激です。彼は、ピアノが人格を持つということを知っていました。その人格にはアイデンティティがあり、カメレオンのように化けることができます。そこで、モーツァルトはピアノに声や弦楽器、オーケストラの表現を暗示させることを、早くから行っていたのだと思います。

「きらきら星変奏曲」とイ短調のソナタの間で、ピアノの周りをぐるっと一周歩いてまわっていらっしゃいました。あれには何の意味があったのですか?

あぁ(笑)、昨日のホールは曲の間で出入りすることが難しい場所だったけれど、変奏曲を弾いた後、短調のソナタに入る前に一息つきたかったので。
子供のころずっとピアノを弾いていると、母からよく、「ちょっと休憩しなさい。ピアノの周りをまわってみたら?」と言われたんです。それを思い出して、やってみたらおもしろいかなと思って。何かのセレモニーのように見えて、謎めいた感じがしたでしょう(笑)?

はい、見事に謎のセレモニーのように見えました。東京のLFJではされたことはないですよね?

まだやったことはありません。東京の会場では、舞台袖に入ることができるからね。でも、もしよろしければ東京でもやりますよ(笑)。

ぺヌティエさんは、どんなお子さんだったのですか?

わからないなぁ…どうだった?(隣に座っていた奥様に尋ねるぺヌティエさん)妻とは、ピアノのレッスンで出会ったんです。6、7歳の頃に。

奥様:かっこよかったですよ! クラスで一番才能がありました。

音楽家として活動するなかで、もっとも大切にしてきたことはなんでしょうか?

音楽作品は人間の内面を表すものですから、そこには聴く人が共感できるものがあるはずです。私はピアニストとして、感情を伝えるということ、そして、人が美しいものを見たいとう望み、幸せや苦しみを表出したいという望みを満たすことを大切にしてきました。美しい曲を聴くと、人は自分が開いていくことに気づき、奥にあるものと交信することができます。

ペヌティエさんのような演奏家は、長い修行と練習で掴んだそういう音楽の美しさ、神とのつながりを、練習もしていない私たち聴き手と分かち合ってくれるのですよね…。

いいんですよ(笑)、私たちは聴く人のために鍛錬しているのですからね。長い時間をかけて作品の中に入り、その曲が言いたいことを理解したら、今度はそれを何も知らない人たちに、よくわかるように、明確に伝えることが大切なのです。

文:高坂はる香

マリー=アンジュ・グッチさん インタビュー

リサイタルのプログラム、どれもユニークでした。

どのプログラムにも、今年のテーマ「ボヤージュ」を感じていただける物語を込めました。「旅」は私の心にとても近いテーマです。私はアルバニアで生まれ育ち、フランスに渡り、ウィーンやニューヨークでも勉強しました。旅は私の人生を変え、感情に影響を与えました。
あらゆる時代の旅行者でもあった偉大な作曲家たちは、音楽を通して自分の経験を伝えています。一部の作品には、旅の日記のようなものもあります。

グッチさんの音楽との最初の出会いは、どのようなものでしたか?

音楽も芸術も、生活の一部として存在するものでした。私が子供の頃、アルバニアは内戦状態でした。日々の暮らしには緊張感があり、人々は貧しく、健康状態も悪かった。そんな中、音楽は、現実を忘れて束の間逃避行できる一つの方法でした。
家族にプロの音楽家はいませんが、みんな音楽が大好きで、クラシックに限らずあらゆる音楽を聴きました。私は演奏家を目指そうと思ったことはありませんが、ピアノのそばで時間を過ごしていたら、自然とその道が向こうからやってきたという感覚です。

子供の頃から、音楽がこの世に存在する意義を体感して育ったのですね。

そうかもしれません。私にとって、音楽はコンサートに行って聴くものだとか、仕事にするものだとか、そういう考えはありませんでした。音楽は、人間の魂の具現化であり、言語や文化の境界を超えて、人が魂同士で対話するためのものだと思っていました。

グッチさんは、オンド・マルトノも演奏されるのですよね。ナントのLFJでは公演もありました。

はい、東京でもやりたいと思って、マルタンさんが聴きにきてくれていたから反応を探ってみたんだけれど、どうでしょうか…(笑)。
オンド・マルトノには、ミュライユの作品を通じて出会いました。彼のピアノ作品のユニークなスタイルに興味を持って調べて行ったら、彼自身がオンド・マルトノ奏者で、レパートリーを広げようとしていたことを知りました。
そんな中、パリ音楽院にオンド・マルトノのクラスがあるのを知って扉を叩いたのが始まりで、以来勉強を続けています。表現の可能性を持ち、想像力を開いてくれるすばらしい楽器です。音の生まれるところにダイレクトにアクセスできるので、鍵盤楽器とは違ったおもしろさがあります。
私はオルガンも演奏しますが、それぞれの演奏経験は互いに影響を与え、一つを学んでいるだけではわからない発見をもたらしてくれます。オンド・マルトノを発明したモーリス・マルトノは、エンジニアであり、チェリストだったので、私はチェロも勉強してみました。そこから発見することもありました。

ところで、初来日は昨年のLFJだそうですね。日本の印象はいかがでしたか?

とてもショックを受けました。もちろん、いい意味で! 東京は、人々がとてもオープンで、新しい音楽を求めていると感じました。日本は私にとって、発見の宝庫のような存在。文化や習慣をもっと知りたいです。

グッチさんは七ヶ国語を話し、日本語も少しできるそうですね。なぜ勉強しようと思ったのですか?

 LFJで日本に行くことが決まった去年の3月に、勉強しようと思いました。
 私は、言語を知らないということは、文化を知る上でバリアになると思っています。少しでも理解できると、コミュニケーションをとり、何かを知るための扉を開くことができます。私が話せるのはヨーロッパ系の言語ばかりでしたから、アジアの言葉を学ぶことは大きな一歩となりました。

最後に、公演を楽しみにしているみなさんにメッセージをお願いします。

音楽は、人間が普遍的に求めるものだと思います。さまざまな芸術の中でも、特に音楽は、直接的に人の心に触れ、情熱を伝えるものです。演奏会では、バリアを作らず、心を開いて、私たちの音楽から何かを見出すこと、そして驚きやショックを受ける現象を受け入れてください。もし好きじゃないと思っても、心を開くことで、何かを発見する一歩を踏み出せるはずです。
前回日本を訪れた際のみなさんのあたたかい支えに、心から感謝しています。また演奏できることを楽しみにしています。

文:高坂はる香