ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025に出演するアーティストたちに、音楽評論家の柴田克彦さんと八木宏之さんにインタビューいただきました。
それぞれの音楽性、人間性が垣間見える素敵なインタビューで、アーティストの演奏とラ・フォル・ジュルネへの理解が深まること間違いなし!
※インタビューは2025年ナントでのラ・フォル・ジュルネにて行われたものです。
ナント出身のエリプソス四重奏団にとって『ラ・フォル・ジュルネ』はどういった存在なのでしょうか?
ポール=ファティ・ラコンブ(ソプラノ・サクソフォーン):『ラ・フォル・ジュルネ』はヨーロッパでも有数の規模を誇るフェスティバルで、ナントの文化生活に欠かすことのできない重要なイベントです。私たちにとってはキャリアの始まりとなったフェスティバルでもあり、カルテットを結成した2004年に初めて『ラ・フォル・ジュルネ』で演奏し、キオスクの無料公演にデビューしました。当時私たちは17歳の青年でした。2015年からは公式に招待されるようになり、以来毎年のようにここで演奏しています。アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンは私たちのような若いアーティストにもチャンスを与え、クラシック音楽の世界ではあまり注目されていなかったサックス四重奏にも光を当てるなど、とても先見性のある人です。
サックス四重奏はあまり注目されていなかったとのことですが、フランスにはクラシック・サックスの長い歴史と伝統がありますね。
シルヴァン・ジャリ(テナー・サクソフォーン):20世紀半ばには、マルセル・ミュールやダニエル・デファイエなどによって、フランスにおけるクラシック・サックスは大きく発展しました。ミュールがパリ音楽院の教授に就任した1942年は、サックスの歴史にとって重要な分岐点です。しかし、クラシック音楽の領域では、次第にサックスの勢いが失われてしまいました。1980年代以降に、その魅力が再発見されて、クラシック・サックスの伝統は息を吹き返したのです。とりわけサックス四重奏のような室内楽を通して、ジャズでイメージされるものとは異なる、クラシック・サックスの多彩な音色とその可能性が知られるようになったのです。
エリプソス四重奏団の音色には、サックスが木管楽器であることを思い出させてくれるようなあたたかみがありますね。
ジャリ:そうした音色は、奏法だけでなく、私たちが愛用している楽器とも関係していると思います。エリプソス四重奏団は昨年から日本のメーカー、ヤナギサワの楽器を使うようになりましたが、この楽器は音が繊細で柔らかく、とても優しい響きを持っています。
女性をテーマにした室内楽のプログラムでは、ピアニストのジャン=フレデリック・ヌーブルジェと共演します。ヌーブルジェとの演奏はエリプソス四重奏団にとってどのような意味を持つのでしょう?
ジュリアン・ブレシェ(アルト・サクソフォーン):ヌーブルジェさんは天才的な音楽家で、彼のようなピアニストと共演できることはとても幸せなことです。ヌーブルジェさんは私たちの最新アルバム『シンフォニック・ストーリーズ』にも参加してくださり、共演を重ねるなかで、少しずつ仲間としての意識を育んできました。これまでにも偉大なピアニストたちと音楽をともにしてきましたが、ヌーブルジェさんは本当に特別な存在で、私たちに多くのインスピレーションを与えてくれています。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ファビアン・ワックスマンの《アルテミスの夢》の管弦楽版日本初演にも注目が集まっています。
ニコラ・エルエット(バリトン・サクソフォーン):エリプソス四重奏団の結成20周年を記念して、ワックスマンに依頼したサクソフォン四重奏協奏曲《アルテミスの夢》は、最初にピアノ版が完成し、こちらはすでに昨年の『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』で演奏しています。管弦楽版も2024年10月にシカゴで世界初演を行い、今回の『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』でも演奏します。《アルテミスの夢》は人類の月への挑戦をテーマにした作品で、第1楽章ではアポロ11号の月面着陸が、第2楽章ではコロムビア号の悲劇が描かれます。第3楽章では宇宙飛行士の死を悼み、第4楽章では2026年に予定されているアルテミス3号のミッションに光が当てられます。音楽芸術を含む人類のあらゆるデータをクリスタル製のディスクに収めて月へと届けるプロジェクト「Sanctuary on the moon」に関連したテキストの朗読も日本語で行われる予定で、音楽ファンだけでなく宇宙に関心がある人にも楽しんでもらえるような公演になるでしょう。私たちが日本へ行くのはこれで3回目となりますが、クラシック音楽を深く理解している日本のお客様に私たちの演奏を聴いていただけることは、本当に光栄なことだと思っています。5月に皆様にお目にかかれるのを楽しみにしております。
文:八木宏之
先ほど聴かせてくださった、ライプツィヒとJ.S.バッハをテーマにしたプログラムは『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』でも披露されます。このプログラムの聴きどころを教えてください。
リサイタルの冒頭に弾いた、ブラームスの編曲による左手のための《シャコンヌ》(BWV1004)は、飾り気や表面的な華やかさはありませんが、実直な美しさが魅力的な作品です。《トッカータ》(BWV916)や《パルティータ第2番》(BWV826)にも、やはり厳格で禁欲的な側面があります。しかし、同時にバッハの音楽には感情の揺らぎや内面の表出も見られるのです。そこには信仰の表明だけでなく、人間的な情熱や葛藤も含まれます。構築的でありながらも、抒情的であるバッハの音楽は、リストやブラームスといった、ロマン派の作曲家たちに大きな影響を与えました。同時代を生きたヘンデルの音楽のほうがずっと堅固で、そのスタイルはベートーヴェンを思い起こさせます。一方でバッハの音楽はよりロマンティックです。
これまで、バッハの音楽の厳格で構築的な側面にばかり注目していましたが、そこにはロマンティックな要素も含まれているとの意見は大変興味深いです。オルガンも学ばれたヌーブルジェさんにとって、バッハの音楽は子供時代から身近なものだったのでしょうか?
バッハのオルガン音楽を演奏することはとても興味深い体験です。というのも、バッハのオルガンのための作品の多くは、カンタータと同様に、教会暦と結びついていました。キリスト教には待降節、クリスマス、受難節、復活祭、聖母被昇天など、年間を通してさまざまな祭日、祝日があり、バッハはそれぞれのイベントにふさわしいオルガン作品を作曲しました。そうした作品群には怒りや嘆き、喜び、期待など、多様な感情表現が含まれていて、演奏家にとっては大変勉強になる音楽なのです。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ヴァイオリンの神尾真由子さん、ヴィオラの瀧本麻衣子さん、チェロの横坂源さんとともに、マーラーとコルンゴルトの室内楽も演奏されます。このプログラムについても教えてください。
このプログラムでは、マーラーとコルンゴルト、ふたりの天才作曲家の青年時代の作品を取り上げます。ふたりには、のちに管弦楽の大作を書くようになったという共通点があります。19世紀末から20世紀初頭は、音楽史上もっとも実り豊かな時代でした。ヨーロッパ各国で多種多様な表現様式が打ち立てられましたが、今回はこの時代のウィーンで顕著だった表現主義のスタイルをお聴きいただきます。
お話にあったようにマーラーは交響曲作曲家として知られていますが、ピアノ四重奏曲断章におけるマーラーのピアノ書法については、ピアニストとしてどのような意見をお持ちですか?
もちろんこれは若い作曲家の習作ですから、リストやショパン、ラヴェルのような超絶技巧は含まれていません。しかし、マーラーの対位法書法はこの時点ですでに熟達したものです。オーケストラの響きを思わせるような巧みな楽器法も注目に値します。この作品を弾いていると、私はベルクのピアノ・ソナタ(作品1)を思い出します。ベルクはこのソナタの第1楽章を完成させたあと、当然続きの楽章も書こうとしました。しかし師のシェーンベルクに、すでによく書けているから次の曲に進むべきだとアドバイスされ、結局このソナタは単一楽章の作品になりました。それと同様に、マーラーのピアノ四重奏曲断章も続く楽章を予感させますが、実際にはそれは書かれなかった、あるいは放棄されたのです。
コルンゴルトのピアノ三重奏曲は彼が12歳で書き上げた作品で、その完成度の高さは世界に衝撃を与えました。コルンゴルトの音楽は近年日本でも人気が高まっており、演奏機会も増えています。
コルンゴルトの書法には、マーラーや新ウィーン楽派だけでなく、フランスのラヴェルやドイツのリヒャルト・シュトラウス、ロシアのラフマニノフなど、当時の最先端のさまざまな音楽からの影響が見出せます。マーラーのピアノ四重奏曲断章と同じく、コルンゴルトのピアノ三重奏曲にも作曲家の未来を予感させる要素があり、音色や雰囲気の多彩な変化は実に映画音楽的です。コルンゴルトの音楽の豊かな色彩は、演奏家が上手にコントラストをつけないと聴き手が全体像を見失ってしまうおそれがあるので、少し注意が必要です。
ナントでも熱狂を巻き起こしたヌーブルジェさんとエリプソス四重奏団の共演を、東京で再び聴くことができるのも大変楽しみです。
エリプソス四重奏団とのコラボレーションは今年で2年目ですが、彼らとは素晴らしい関係を築けていると思います。ピアニストはいつも様々な楽器と室内楽に取り組みますが、サクソフォンと共演する機会はあまり多くないので、私にとってエリプソス四重奏団との仕事にはたくさんの学びがあるのです。『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ソロ・リサイタル、室内楽、コンチェルトといくつものプログラムを用意しているので、どうか楽しみにしていてください。
文:八木宏之
『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』への参加は今回が初めてとのことですが、演奏を終えてこの音楽祭にどういった印象を抱かれましたか?
『ラ・フォル・ジュルネ』はプログラムのバラエティがとても豊かで、演奏家とお客さんの距離も近く、アーティスト同士の繋がりも密接なフェスティバルだと思います。アーティストやスタッフが混ざり合って一緒に食事を取るなど、ほかの音楽祭にはないアットホームな雰囲気が魅力的です。ここで演奏できたことはとても光栄なことでした。
東京でも披露される「四季世界一周」は、今年のテーマの「Villes phares」(主要都市の意、東京でのタイトルは“Mémoires ー音楽の時空旅行”)にぴったりのプログラムですね。
ヴィヴァルディに始まり、フォーレ、サン=サーンスからブラームス、バルトーク、そしてガーシュウィンやバーンスタインに至るまで、国も時代も異なる多様なレパートリーを、まさに時空旅行のように楽しんでいただくプログラムです。クラシック音楽の世界では、いつも似通ったプログラムを依頼されることが多いのですが、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンは、私の提案を喜んで受け入れてくれました。
ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、そしてニューヨークの冬と、世界4都市で四季を味わうプログラムは、ファウリーシさんのルーツやアイデンティティとも関連していますね。
その通りです。パリは私が生まれ育った街であり、大切な故郷です。また私の父はイタリアのシチリア生まれ、母はセルビア出身なので、イタリアや東欧の音楽も私にとって重要な意味を持っています。ヴィヴァルディの時代のイタリアと現代のイタリアでは様々なことが異なっていますが、《四季》の音楽に込められたイタリア的なユーモアの感覚は今も変わりません。またブダペストを中心とした東欧には、ヨアヒムなどに始まるヴァイオリンの伝統があり、東欧楽派の音楽的遺産は今日まで受け継がれています。イタリアの音楽も東欧の音楽も、楽譜には書かれていない文化的情報を読み解いて、それを演奏で表現することが大切だと思っています。
共演するハンソン四重奏団とのアンサンブルも、とても息のあったものでした。
ハンソン四重奏団とは初共演から意気投合して、すぐに友人になりました。これほど素晴らしいカルテットと共に音楽を作り上げることができるのは、本当に得難い経験です。私が日本へ行くのは今回が初めてですが、ハンソン四重奏団のリーダーであるアントン・ハンソンは15年間東京で暮らしていたので、彼に日本についていろいろと教えてもらおうと思っています。日本で訪れたいところはたくさんありますし、日本のお客様と素晴らしい音楽を共有できることをとても楽しみにしています。
文:八木宏之
アンサンブル・レザパッシュ!の結成の経緯とそのコンセプトを教えてください。
アンサンブル・レザパッシュ!は5年前にフランスで結成されました。音楽とほかのアートの領域を融合させることがこのアンサンブルのなによりのコンセプトです。これまでにも、俳優やダンサー、映像作家など、さまざまなアーティストとコラボレーションを重ねてきました。こうしたコラボレーションの目的は、作曲家がインスピレーションを得たアイデアの源泉を聴衆に示すことです。ナントと東京で披露するプログラムで俳優が歌曲の原詩を朗読するのも、そうした狙いがあるのです。
また20世紀初頭の作品と今日の作品を組み合わせてプログラムを構成することで、音楽史における過去と現在の対話を体験していただくことも大切にしています。ラヴェルやストラヴィンスキー、ドラージュの作品とともに、ファビアン・トゥシャールのような若い世代の作曲家の作品も取り上げることで、フランス音楽のエクリチュールがどのように今日まで継承されてきたのかを知ることができるでしょう。
アンサンブル・レザパッシュ!には、どのような演奏家が参加しているのですか?
ヨーロッパ各地の音楽院で学んだ若い演奏家たちが参加しています。日本人のヴァイオリニスト、小島遼さんも結成当初からのメンバーで、彼はフランス国立オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ管弦楽団のコンサートマスターを務める名手です。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』に持ってきてくださるプログラムについて、楽しみ方のヒントを教えてください。ひとつ目のプログラム「異端児!〜“アパッシュ”ラヴェルに捧げるスキャンダラスな演奏会」では、生誕150年を迎えるラヴェルに光が当てられます。
私たちのアンサンブルの名前の由来となっている「アパッシュ(不良の意)」は、ラヴェルが仲間たちと結成した芸術家のグループで、音楽家だけでなく、画家や詩人、批評家も参加していました。ラヴェルは素朴な人であると同時に、デリケートな人でもあり、また陽気な人でもありました。ラヴェルの音楽は20世紀初頭の聴衆に驚きをもたらし、ときにスキャンダルも巻き起こしました。ラヴェルは聴衆に罠をしかけることすらあったのです。今回の演奏会では、皆さまに当時の聴衆と同じような体験をしていただくべく、クイズも用意しています。20世紀初頭のパリのコンサートホールは、しばしば演奏中に指笛が鳴らされるなど、とても騒がしかったのですが、聴衆は音楽をちゃんと聴いていました。現代のお客様は少し真面目過ぎるところもありますので、当時のユーモアや遊び心を再現して、客席に新鮮な反応をもたらしたいと思っています。
ふたつ目のプログラム「レザパッシュにご注目!」では、先ほどのお話にもあったように、俳優による詩の朗読も行われます。
このプログラムは、1914年にパリで開催された「独立音楽協会」の演奏会をテーマにしています。この演奏会で同時に初演されたラヴェル、ストラヴィンスキー、ドラージュの作品を中心に、作曲家へインスピレーションを与えた日本の俳句やヒンドゥー語の詩も朗読されます。俳優の声もひとつの楽器であり、音楽と言葉のマリアージュをお楽しみいただけるでしょう。20世紀初頭のパリでは、万国博覧会を通して遠いアジアの文化に接することができましたし、作曲家たちはそこで得た体験を自らの音楽にも取り入れようとしました。そうした時代の空気をサロンのようなリラックスした雰囲気のなかで味わっていただけるプログラムだと思います。
フランスで書かれた、時代の異なるふたつの舞台作品《エッフェル塔の花嫁花婿》と《マンガ・カフェ》が一度に楽しめるプログラムにも注目が集まっています。
ジャン・コクトーの依頼でフランス六人組のメンバーが共作した《エッフェル塔の花嫁花婿》は、シュール・レアリスティックなバレエ作品としてパリにスキャンダルを巻き起こしました。21世紀のフランスの作曲家、パスカル・サヴァロの《マンガ・カフェ》は、日本のネットカルチャーが生んだ文学作品『電車男』を原案にしたユニークなオペラです。フランスの舞台芸術の多様性や時代を超えていくユーモアをどうか楽しんでいただけたら嬉しいです。
文:八木宏之
レイさんは『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』に毎年のように出演する、フェスティバルの看板アーティストのおひとりです。ジャズ・ミュージシャンが『ラ・フォル・ジュルネ』のようなクラシック音楽の音楽祭に参加する意義をどのように考えられていますか?
私はアーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンに招かれて、11年前から『ラ・フォル・ジュルネ』に参加しています。ルネはジャンルの垣根なく音楽を捉える人ですし、クラシック音楽とジャズには強い繋がりがあります。フェスティバルの聴衆にとっても、ジャズのようなクラシック音楽の周囲にある音楽に触れるチャンスがあることは素晴らしいことだと思います。
レイさんがジャズの演奏を始めたきっかけはどういったものだったのでしょう?
5歳のときにピアノを習い始めて、最初はクラシック音楽を勉強していたのですが、もっと自由に演奏したかった私は、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの音楽に少しだけ自分のスタイルを加えて楽しんでいました。そんな私に先生は即興演奏やジャズを勧めてくれたんです。父も私にジャズのレコードを聴かせてくれました。それで、7歳のときにジャズの勉強をスタートさせました。私の先生は広い視野を持ったアバンギャルドな人で、このときすでに高齢だったにも関わらず、当時登場したばかりのパソコンを使って、音楽を学ぶための様々なゲームを開発したりしていました。ピアノを始めたときに彼女のもとで学べたのは、私の人生にとってとても幸運なことでした。
ナントと東京で演奏されるガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》のピアノ・トリオ版には、オリジナルと比べてソリストの即興がより多く含まれています。これはレイさんによる編曲ですね。
《ラプソディ・イン・ブルー》はジャズとクラシックが交錯する作品です。私はこの作品を演奏するにあたり、ガーシュウィンの楽譜を徹底的に分析、研究しました。即興演奏は完全に自由なものに聴こえますが、1番大切なのは実はフォルムなのです。法則や枠があるからこそ自由でいられるという点は、日本の俳句と同じです。《ラプソディ・イン・ブルー》にもフォルムがあり、私はガーシュウィンが作った枠を尊重しながら、彼自身もそうしていたように、カデンツァにより自発的な要素を加えることにしたのです。
壷阪健登さんとのデュオにも大きな注目が集まっています。壷阪さんはレイさんにとってどのような音楽家なのでしょう?
2ヶ月ほど前に、ルネが壷阪健登という素晴らしいピアニストがいると連絡をくれて、彼のアルバムを送ってくれました。アルバムの最初の音を聴いた瞬間、この人はとんでもない音楽家だと確信しました。そして数曲を聴いて、その深い精神性に触れ、ルネに壷阪さんとぜひ共演したいと伝えました。ナントに来て初めて壷阪さんと一緒に演奏しましたが、彼は若くしてすでに高い完成度を誇る、素晴らしいアーティストです。これからさらに飛躍して欲しいと願っています。デュオの演奏会では、彼の曲と私の曲、そしてジャズのスタンダード・ナンバーを織り交ぜたプログラムをお聴きいただきます。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』へ向けて、日本の聴衆にメッセージをお願いします。
私はこれまでに5回、日本を訪れています。そのうち2回が『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』のための訪日でした。日本はジャズを深く理解している国で、コンサートホールやライブハウス以外のさまざまな場所でもジャズがかかっています。こうした国は世界でも稀です。日本の人々のジャズに対する敬意のほかにも、禅の精神や美しい建築など、私が日本を好きな理由はたくさんあります。今年も再び日本を訪れることができて、本当に嬉しく思っています。ピアノ・トリオ版の《ラプソディ・イン・ブルー》も壷阪さんとのデュオも、ぜひ聴きに来てください。皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。
文:八木宏之
壷阪さんはどういったきっかけでジャズ・ピアノを始められたのでしょう?
ピアノは小学校1年生のときに習い始めました。最初は街のピアノ教室でクラシック・ピアノからスタートしましたが、ハノンやバイエルをシステマティックに学ぶのではなく、弾きたい曲を自由に弾かせてくれる先生でした。中学校1年生のときに『題名のない音楽会』で山下洋輔さんの弾くガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》を聴いたのが、ジャズに興味を持つきっかけになりました。その後、日比谷公園の野外音楽堂で山下洋輔トリオの復活公演を聴いて、完全にノックアウトされてしまいました。フリージャズに接したのもこのときが初めてでした。
壷阪さんは慶應義塾大学に進学されたあと、ボストンのバークリー音楽大学でジャズを学ばれました。アメリカに留学しようと思ったのはなぜなのでしょう?
日本では法学部政治学科で勉強しました。大学1年生のとき、『サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現在のセイジ・オザワ 松本フェスティバル)』でジャズ・ピアニストの大西順子さんのワークショップに参加する機会があり、そこで自分のジャズのボキャブラリーがいかに乏しいかを痛感しました。そして一つひとつの音楽言語にどんな歴史があるのか、しっかり学びたいと思うようになりました。それでバークリー音楽大学に留学することに決めたのです。日本での学生時代には高田馬場のジャズクラブでセッションにしばしば参加し、ベースの楠井五月さんやドラムの石若駿さんと一緒に演奏する機会もありました。その頃から、少しずつジャズ・ピアニストになることを考えるようになりました。
壷阪さんは今年『ラ・フォル・ジュルネ』にデビューされましたが、ソロのステージもポール・レイさんとのデュオも、ナントの聴衆は大いに沸いていました。初めて『ラ・フォル・ジュルネ』に参加して、どのような印象を抱かれましたか?
フェスティバル全体がひとつのセッションのようで、なにが起きるかわからないドキドキ感がジャズの即興に近いと感じました。公演数がとても多い音楽祭ですが、アーティストもスタッフも皆がいきいきとしています。そうしたタフでスピーディーな環境はとても刺激になりました。また『ラ・フォル・ジュルネ』は尊敬する小曽根真さんとの縁も深い音楽祭で、私が小曽根さんの演奏を初めて聴いたのも『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』でした。そのときはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を聴き、サイン会にも並んだことを覚えています。そうした思い出のある音楽祭に出演できることはとても光栄です。
レイさんとの初共演はいかがでしたか?
レイさんは素晴らしいミュージシャン、コンポーザーで、とても華のある人です。デュオでは、長いキャリアと経験を誇るミュージシャンのフィールドに乗っかる面白さがありました。レイさんのなかには確固たるアイデアがあるので、それをふたりで共有し、ディスカッションするのがとても楽しかったです。ステージではハプニングもありましたが、それもライヴの魅力のひとつだと思っています。
東京では、壷阪さんがジャズと出会うきっかけとなった《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏も披露されます。この公演は3歳から参加することができるものなので、多くの子供たちが壷阪さんの演奏を聴きにくるかと思います。
《ラプソディ・イン・ブルー》はすでに4回弾いていますが、子供たちの前で弾くのも、5000席のホールで弾くのも今回が初めてなので、思い切って飛び込みたいと思っています。《ラプソディ・イン・ブルー》では即興もお楽しみいただきます。もちろん、ジャズ・ピアニストだからといって作品のフォルムを崩してしまうのは、マスターピースへの敬意に欠けているので、ガーシュウィンの書いた楽譜をしっかりと弾き込んだうえで、即興的要素を加えるつもりです。作曲家の残した楽譜を研究し、誠実な態度で作品と向き合うことはなにより大切だと思っています。ソロ・ステージ、レイさんとのデュオ、そして《ラプソディ・イン・ブルー》。どの公演もぜひ注目していただけたら嬉しいです。
文:八木宏之