柴田 克彦(音楽評論家)
2025年のラ・フォル・ジュルネ(LFJ)ナントは、昨年以上に盛り上がっていた。フランス西部の都市ナントのLFJは、1995年に始まり、コロナ禍の3年間も縮小して開催されたが、昨年本来の規模に回復。今年は、1月29日夕方から2月2日までの5日間に290もの有料公演(&多数の無料公演)が行われ、筆者も連日足を運んだ。
今年は大半の公演が満席で、場内もまともに歩けないほど大盛況。団体で来場する子供たちの数も昨年以上に多く感じた。ナントは購入チケットがないと会場がある建物自体に入れないので、これは驚異的というほかない。
今年のテーマは、ナントと東京で異なるものの、各時代に音楽の光を灯した町にスポットを当てる内容は全く同じ。ヴェネツィア、ロンドン、ウィーン、パリ、ニューヨークを軸に据え、複数のサブ都市を絡める番組作りも同様だ。
ただしナントの有料公演会場は、2,000席×1、800席×1、450席以下×6と概ね小規模ゆえに、当然室内楽や器楽が中心。以下、強い印象を受けた演奏家をご紹介しよう。
今年の“イチオシ”はギターのラファエル・フイヤートルだ。美しい音色と爪音や摩擦音が混じらない滑らかなテクニック、さらには細やかな表情付けが実に見事。今回聴いた「アランフェス協奏曲」とリサイタルは東京でも耳にできるので、ぜひ触れて欲しい。
続いて弦楽器では、ヴァイオリンのオリヴィエ・シャルリエ。彼は日本でもお馴染みだが、「クロイツェル」ソナタを聴いて、フランスの奏者らしい芳醇でマイルドな音色と引き締まった表現に改めて感心した。同じくヴァイオリンでは昨年も推したリヤ・ペトロヴァ。彼女は東京と同じメンデルスゾーンの協奏曲を弾き、豊潤な音色、高度な技巧、艶美な表現で魅了した。
ピアノではまずフランソワ=フレデリック・ギィが、ベートーヴェンの協奏曲第3番の弾き振りで様式美とロマン性を兼備した好演を展開。やはり日本でも知られたレミ・ジュニエも、室内楽で成長ぶりを実感させた。俊英組ではドミトリー・マスレエフとアリエル・ベック。2015年チャイコフスキー・コンクールの優勝者マスレエフは、協奏曲とリサイタルで強靭さと柔らかみを併せ持つ快演を披露し、今年16歳の天才ベックは、シューマンの作品で多彩な音色と表現を聴かせて逸材ぶりを示した。またジャズのポール・レイと壷阪健登もハイセンスの演奏で聴衆を楽しませた。
グループでは、昨年に続いてサクソフォーンのエリプソス四重奏団が大活躍。彼らはトラムの停車場等での街中パフォーマンスで皆を喜ばせ、ピアノのジャン=フレデリック・ヌーブルジェとの公演ほか随所で豊穣な音色と表現力を披露した。耳新たな団体では、アンサンブル・レザパッシュ!が構成の妙や透明感のある音世界を体感させた。
このほかスケジュール的に聴けなかった興味深い公演は数多いが、これもまたLFJならではの贅沢。東京で再び「フォル(熱狂)」を味わえるのがいっそう楽しみになった。
八木 宏之(音楽評論家)
2025年1月29日から2月2日まで、5日間にわたって開催された『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes 2025』(以下LFJ)を取材する機会に恵まれ、私は初めてナントを訪れた。ナントはフランス西部、大西洋岸から約50kmに位置し、市内を流れるロワール川の利を活かした国際交易で古くから栄えてきた。会期中、大西洋からは冷たい風が吹き込み、ナントの街には霧が立ち込めて、長旅で疲れた身体は芯まで冷え切ってしまった。欧州の音楽祭の多くは、春の復活祭や夏のバカンス期間中に行われる。寒さが苦手な私は、「LFJももっと暖かい季節に開催すればよいのに」と思ったのだが、陽の光が乏しく、寒さの厳しい1月末から2月初旬にあえて音楽祭を開催することで、家に篭りがちな冬の生活に彩りを与え、市民の心を音楽であたためるというミッションがLFJにはあるのだという。
LFJが始まった1995年当時、ナントの景気は造船業の衰退などですっかり冷え込み、市民の表情は明るいものではなかった。そうした状況をアートで打開しようとしたのがナント市長のジャン=マルク・エロー(のちにオランド政権で首相、外相も務めた)であり、ルネ・マルタンのLFJもエローの文化政策を背景にスタートしたのだった。その後30年にわたって続けられてきたLFJは、今では市民の文化生活に欠かすことのできないものとなり、フランスのみならず世界中から音楽愛好家が集う国際音楽祭へと発展を遂げた。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025』にも出演予定のエリプソス四重奏団とジャン=フレデリック・ヌーブルジェのコンサートで隣席になった女性には、「あなたは東京から来たの?私はペルピニャンから毎年来ているのよ!」と話しかけられた。聴衆同士が気さくに声を掛け合う空気は、ほかの欧州の音楽祭にはないLFJならではのものだろう。この公演には小さな子どもからハンディキャップを持つ人まで、さまざまな国籍、年齢、バックグラウンドの聴き手が集い、皆で身体を揺らし、ときに歓声を上げながら音楽を楽しんだ。誰もが自由にコンサートを楽しむことができる環境も、この音楽祭のなによりの美質である。
エリプソス四重奏団が公演後に会場内を移動していると、来場者から次々と声をかけられ、コンサートの感想を伝えられていた。演奏家と聴衆の距離の近さは、音楽祭のアットホームな雰囲気に繋がっている。インタビューで話を聞いたアーティストの多くが、この点をLFJの魅力に挙げていたのは印象的だった。
地元ナント出身で、今やLFJの看板アーティストとなっているエリプソス四重奏団も、2004年のデビュー時には、無料ステージ「キオスク」からのスタートだった。マルタンは未来ある若者たちに演奏のチャンスを与え、彼らを継続的にキャスティングすることで、聴衆とともに演奏家を育ててきたのだ。今年も、ヴァイオリンのルカ・ファウリーシやジャズ・ピアノの壷阪健登など、新たな才能がLFJにデビューを果たし、聴衆の心をしっかりと掴んでいた。彼らもこれからLFJファミリーの一員になっていくのだろう。マルタンはアーティスティック・ディレクターとして会場を縦横無尽に動き回り、さまざまなコンサートに顔を出す。そして、自らが見出したアーティストが客席に熱狂を巻き起こしているのを、ホールの隅で実に幸せそうに眺めている。その満ち足りた笑顔は、子供の成長を喜ぶ父親のそれであった。取材が終わるころには、私もいつかこのファミリーの一部になりたいと思えてきた。私はまだ「ゲスト」かもしれないけれど、またこの家に帰ってきたいと願っている。